成功の鍵はマージナルゲインじゃない?自転車プロ選手が直面するメンタルヘルス問題
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先日、栗村さんのブログのなかで「燃え尽き症候群?」と題して、サガンのネガティブ発言やキッテルの不調⇨休養宣言について触れられていました。そこで5月号のProcycling誌に掲載された自転車プロ選手のメンタル問題に迫った記事を思い出したので、これをベースにしながらなんか書いてみるかと思い立ったわけです。

この記事はキッテルが引退発表をする前に書かれており、キッテルが語った言葉はもちろん、他の選手の証言もまとめたもの。毎年生まれる若きスーパースターの裏には、人知れず輝きを失っていく選手がいるのも事実です。勝利の数は、無限ではありません。コインの表裏。勝者がいれば、敗者がいます。

トッププロ選手たちが抱える悩み

マルセル・キッテル「2018年シーズンは闇に包まれていた」

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2017年に14勝を収めたマルセル・キッテルは、2018年には2勝しかできませんでした。

"You know, after 2018," Kittel explains, "I learned again what a business it is that we are in. It's not a sport in the first place – it's a business, and that's something you don't really realise as a neo-pro.<中略>It really is a lot of expectation from other people. If you're performing well, everyone is happy, and if everything is not going to plan then not everyone is happy. That's something you have to learn to deal with.
2018年は、僕らがどんなビジネスの世界にいるのかを痛感した年だったよ。そもそもスポーツではなくて、ビジネスなんだ。それはネオプロのときは気づかなかった事実だ。<中略>すべては他の人からの期待なんだ。勝ち続けている限りはみんなハッピーだけど、計画通りに上手く行かなくなり始めるとハッピーじゃない人たちが出てくる

ネイサン・ハース「モチベーション不足が問題になることは殆ど無い。むしろ多いのは、モチベーションが高すぎて自分自身を壊してしまうことだ」

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キッテルの元チームメイトで、プロ選手のメンタルヘルス問題について多くを語るネイサン・ハースはこんなことを語ります。

Motivation tends not to be the issue with anyone in the elite field. It's actually the issues that come with being overly motivated, breaking yourself and then becoming undermotivated because you've broken what you have inside to be able to manage,
プロになる選手に限って言えば、モチベーション不足が問題になることはほとんど無い。むしろ多いのは、高すぎるモチベーションによって自分自身を壊してしまうことだ。それでモチベーション不足に陥り、自分たちのなかの何かがコントロール不能になってしまう

そんなネイサン・ハース御用達のスポーツ心理学者として活動するのはDavid Spindler氏。ディメンションデータお付きのスタッフでもありながら、ハースやバーレーン・メリダのローハン・デニスなどに個別で問診を行っています。自身も20代の頃から双極性障害と向き合い、ゴルフ界からやってきたSpindler氏には自転車ロードレースに残る精神論が奇異なものに映ったのだそうです。

"Any psychological science is not something that is old-school cycling. Old-school cycling is just, 'Get over it.' Concussion? Just keep going,<中略>The riders have got no outlet because everyone within that old bubble says, 'That's not the way it's done.'
自転車界には昔ながらの精神論がまだかなり残っている『落車で意識が飛んだ?どうってことはないさ、とりあえず頑張れ』っていうね。その古い慣習のなかでは『そういうもんだ』と誰もが口をそろえ、それじゃ選手たちは文句のはけ口がない。

チーム・環境を変えると結果がでなくなる選手がいる理由

チームや環境を変えることは誰にとってもリスクになりうることです。新しいキットに身を包み、新しいバイクにまたがる。そんな単純なことではありません。

キッテル「チームメイト全員と知り合いになるのは時間がかかる」

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キッテルは、チーム移籍後の変化についてこう語りました。

"I'm someone who needs to enjoy being in the group and that means for me, in the first place, getting to know everyone, which takes time,<中略>I think especially when you come into a group as a sprinter, or as a guy who should lead the team, you need to create a personal relationship with the people around you."
僕はみんなと一緒にいて楽しむことが必要なタイプだ。そのためには皆と知り合いになることが必要で、それはものすごく時間のかかることでもある<中略>特にスプリンターとして、もしくは皆を率いる男としてチームに加入する場合には、プライベートな人間関係を自分の周りに築くことが大切だと思うんだ

ハース「最初の2年間は孤独だった」

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オーストラリア生まれのネイサン・ハースも、欧州に渡ってきたばかりのキャリア初期の頃を振り返ってこう語ります。

"I had no friends when I first moved to Spain. It was horrible," admits Haas. "My first two years were so lonely, but I knew I had to push on if I wanted to be a cyclist."
僕が最初にスペインに移住したときには、だれも友だちがいなくて最悪だった。最初の2年間はとても孤独だったけど、サイクリストになりたいなら前進し続けるしかないということもわかっていた。

ダン・マーティン「プロの自転車選手というのはもろいもの」

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ダン・マーティンは2018年UAEエミレーツに移籍し、ツールの第6ステージで優勝、最終的にも総合8位で終えています。傍目から見れば十分すぎるほどの成功にもみえますが、本人はシーズン初めの不調について「100%精神的なものだった」と語ります。

"You can see it when guys change teams and the adaption into a new environment, maybe getting a big, fat pay cheque. A lot of young riders have a good first two seasons, suddenly they get a big pay cheque and then disappear. That's psychological. It's clearly the pressure getting to them and that's where a sports psychologist would definitely help," says Martin. "We're quite vulnerable as cyclists because you live in a bubble, so you do get a little bit wrapped up. Sometimes you need someone to bring you back down to earth. That's why I worked with my own sports psychologist last year, and I'm lucky to have an incredible wife, who gives me a hit around the face sometimes."
チームを変えた途端に成績が低迷する選手がたくさんいるのは、心理的な側面が大きい。また、多くの若い選手は最初の2年間は良い走りをして、大きな額の給料をもらった途端に表舞台から姿を消す。これも間違いなく心理的な問題だ。彼らが受けるプレッシャーが原因だろう。それこそスポーツ心理学者が必要とされる場面だ。プロの自転車選手というのは思っている以上にもろい。自転車ロードレースという”泡”の中で生きているから。時々でいいから、現実世界という”地上”に引き戻してくれる誰かの助けが必要なんだ。だからこそ昨年、僕は個人的にスポーツ心理学者のお世話になったし、幸運にも僕には素晴らしい妻がいた。

では、実際問題、どのように対応すればよいのでしょうか?

メンタル問題解決のために、何をすればいいのか?

マイケル・マシューズ「普段の人間関係から完全に外にいる人に話をするだけで、どれだけ救われることか」

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本記事を執筆したSophie Smithがメンタルヘルスについての着想を得たのは、各選手へのインタビューの中でスポーツ心理学者について言及する選手が増えてきたからだそうです。2017年にツールでポイント賞を獲得しているマイケル・マシューズも例外ではありません。

"It was helpful just talking to someone totally out of my circle that has no real influence on the team, on anything," Matthews says. "He was trying to make sure I could relax at the right times and go into races with a cool head, instead of racing on emotions all the time."
普段の人間関係から完全に外にいる人に話をするだけで、どれだけ救われることか。彼は僕がしかるべきときにリラックスしてレースに冷静な頭で臨めるよう最大限の努力をしてくれた。毎レース毎レース感情的になるよりもずっといいことだ

ヴァンガードレン「生活の中で何がストレスになっているのかをクリアにするのが大事」

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ティージェイ・ヴァンガードレンも心理学的なサポートについて、こう語っています。

"It's not about the visualisation or the breathing techniques or whatever, I think that's bullshit,<中略>I feel like a lot of it is more just figuring out the things that bother your normal life so that you can then not stress about them getting into a bike race. That's a bigger help.
(心理学でいう)見える化とか、心が落ち着く呼吸法とか、そういうのは本当にくだらないと思う。でも、普段の生活で起こるいろんなことの中で何がストレスになっているのかをクリアにするのは大事なことだ。

ディメンションデータのスポーツ心理学者、先述のSpindler氏の役割は福利厚生のようなものだとSpindler自身はいいます。各選手の仕事の安定性、懐事情、うんざりするような時間管理、それに家での生活などについて、TV電話や対面で話す、と。

If there is a performance problem, then we work that out, but a lot of the time detriments to performance are not on-the-bike stuff at all. <中略>A lot of it is how we can get the overall team to communicate with the athlete better, making sure that the line of communication from the management side is effective enough that it makes the athletes perform better. That is only going to happen if they buy into the idea that the performance staff actually give a shit about them. I'm not saying they didn't in the past, but that's how a high-performance team works.
もし選手のパフォーマンスに問題があるとき、大体の場合それは自転車の上で起こっていることとは関係ない。<中略>チーム全体でどのようにしてコミュニケーションをとるのか、が鍵。コーチ陣がトレーニングプランや思いの丈を一方的に喋っているだけじゃ意味がなくて、選手たちがその真意を本当に理解したときにだけ、そのコミュニケーションは意味をなす。彼らが努力を怠っていると言ってるわけじゃない。ただ、成功しているチームはもれなくコミュニケーションが上手くいっている。

「成功の鍵はマージナルゲインじゃない」

ネイサン・ハースは語ります。

"People are starting to realise that it's not a marginal gain. Your head space is your core driver," concludes Haas."The happy headspace is probably the most important thing in the game, but staying there? That's the art, and it's not easy."
みんなそろそろ、成功の鍵がマージナルゲインじゃないということに薄々気が付き始めている。本当の原動力は、僕らの頭の中にあるんだ。頭の中にあるハッピーな部分 (happy headspace) こそが、おそらくこのゲームの中で一番大事なこと。そこにずっと居続けること?それはアートのように、とんでもなく難しい

ほとんどの問題は

ティージェイや記事中のスポーツ心理学者が語った、「モチベーションにかかわるほとんどの問題は自転車の上で起きてるものじゃない」という言葉、すごく共感しました。これってたぶんスポーツ選手だけじゃなくて普通の仕事でもそうだと思うんです。オンオフ限らず人間関係のストレスって、明らかに仕事のパフォーマンスに影響しますもんね。

すっかり国際化したロードレース界において、言語の壁や習慣の違いが少なからず存在する以上、コミュニケーションはおそらく思っている以上に難しい。どんなに強い選手でも、それでパフォーマンスに影響が出てしまうこともある。きっと海外に渡る日本人選手も同じはずです。昨年のジロで活躍した初山選手も初めてイタリアに渡ったときは「生活するだけで精一杯」、以前ジロを完走した山本選手も「イタリアの生活にはストレスがあった」と語るほど。でも、それは日本人だから、自転車選手だから、というわけじゃなくて、他の国の選手も、そして他の事を生業にしている人たちも、少なからずそのストレスを感じている。そしてそれを乗り越えた人が結果を残している。

言葉にすると当たり前なんですが、今回紹介した記事は、そんなことも示唆しているのかなと思いました。

参考ソース

 

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