2025年世界選手権はルワンダ開催?大虐殺から復興し「アフリカの奇跡」と呼ばれた地の自転車選手たち
Photo by Adam Jones on Flickr

時は遡り、2019年7月。UCIが「2025年の世界選手権開催地はアフリカから選ぶ」と発表しました。そして9月にはモロッコとルワンダが正式に応募し、そろそろ公式発表があると予想されていますが、この2つの中でもルワンダは熱心に招致を進めています。そんなルワンダの輪界が盛り上がっているという情報を得たのでまとめてみました。

密かに盛り上がりを見せるルワンダの自転車シーン

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アフリカについての数々の事実と同様にあまり知られていないことですが、ここ数年、ルワンダではひそかに自転車ロードレースが盛り上がりを見せています。現在1クラス(ツアーオブジャパンと同レベル)のステージレースが開催されているアフリカの国は、ルワンダとガボンのみ。ガボンで開催されているのはLa Tropicale Amissa Bongo (2006-)。今年別府選手と岡選手が出場したことで私も初めて知りました。もう一つが、ルワンダで行われているツアーオブルワンダ(2009-)です。因みに1クラス昇格のタイミングはLa Tropicale Amissa Bongoが2008年と最も早く、ツアーオブジャパンが2013年、ツアーオブルワンダは昨年クラス1に。

そして、レース開催地としてだけではなく、ルワンダの選手はレースで結果を残し始めています。その第一人者がJoseph Areruya (24)。2017年ツアーオブルワンダで総合優勝を飾ったAreruyaは、ナショナルチームを率いて翌2018年のLa Tropicale Amissa Bongoを制します。これはルワンダ選手にとって1クラスのステージレースで初めての総合優勝でした。当時22歳の若者は、勢いにのって同年のネイションズカップL'Espoir Blue Lineでも総合優勝を果たします。

この活躍を受け、ルワンダナショナルチームは”若手の登竜門”ツールドラヴニールに招待されました。さらにエースとして出場していたAreruyaはプロコンチネンタルチームのデルコ・マルセイユとの契約を手に入れます。昨2019年には、アフリカ出身黒人選手として初めてパリ~ルーベに出場を果たしました(結果は制限時間超過OTL。また、2020年には契約が切れてしまいます)

大虐殺から復興した「アフリカの奇跡」

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そもそも、ルワンダはどんな国なのか。1962年にベルギー植民地から独立したルワンダは、最貧国の一つでしたが約20年間発展を続けてきたことで「アフリカの模範生」としての評判を手にしました。独立から一見順調な船出をしますが、その発展の背景には当時の体制の強権的な政治がありました。

政治的に排除され続けたツチ系の人たちは隣国のウガンダに難民として避難しますが、そうしたツチ系の難民がルワンダ帰還を目指しRPF(ルワンダ愛国戦線)を結成し、1990年代にルワンダ政府との間で内戦にまで発生します。そして1994年。過激なフツ至上主義の台頭によって急速な政情悪化が収まらず、ある事件をきっかけに悲劇が起きます。

政府と暴徒化したフツによる、ツチと穏健派フツに対するジェノサイドが勃発した(ルワンダ虐殺)。この結果、約100日間のうちに、当時のルワンダの総人口約730万人中、およそ80万人から100万人が殺害されたと見られている。

およそ20世紀に起きた出来事とは思えない悲劇。私自身は当時はバブバブ言ってたので、記憶にまったくありませんが、近代アフリカを語るときによく引き合いに出される事件がこのルワンダ虐殺です。しかし、この悲劇が終結したのち、ルワンダは奇跡的なスピードで復興を果たします。ICTを将来の主要産業と位置付け、年率6 ~ 8%の経済成長を実現しているのです。(※日本の成長率は1%以下)

内戦終結後、農業改革やインフラ整備、綱紀粛正による汚職の減少、IT産業の振興、海外からの投資の奨励などによって急速な経済成長を遂げており、この現象を指して「アフリカの奇跡」と呼ばれている。

その背景には、政府の強力なリーダーシップのもと(強権的な政治だと再度批判を浴びているのもまた事実ではあります)、人口1200万人(※東京都の人口は1400万人)という小国ながら、アフリカのスタートアップハブになる大きな可能性を秘めた国として成長を続けているのです。事実として、数年前からスタートアップ界隈ではアフリカに注目が集まっており、2017年、DMM.comはルワンダでソフトウェア開発・運営を行うHEHE LABS(ヘヘ・ラボ)の全株式を取得する(=買収する)など精力的な活動を行っています。

そんな国で、なぜ自転車ロードレースが熱を帯び始めたのか?そこには一人のアメリカ人レジェンドの存在がありました。

「Rising from Ashes」悲劇からの復活


ルワンダの自転車競技の歴史は10年ほど前に遡ります。2007年、アメリカの象徴的選手であったJock Boyer(ツールに5回出場し1983年には総合12位でフィニッシュしている)とTom Ritcheyがチーム・ルワンダを結成。5年間という年月をかけ、素人同然だったチームは2012年のロンドン五輪にAdrien Niyonshutiを送りだすまでに成長します。その様子はドキュメンタリー「Rising from Ashes(灰からの復活)」として記録、上映され話題となりました。パイオニアであるJockとTomを継いだ形でチームルワンダを率いるコーチのSterling Magnellはこう述べます。

"We didn't have the depth of strength of the Italian cycling culture that Eritrea has but the timing of the growth post-genocide, the availability of certain people and their willingness. Jock being at the timing of his life he was at when Tom Ritchey said for him to come here. The people who suggested that Tom visit. The succession of events… but the uniqueness of Rwanda is in its federation and the government's willingness to collaborate and to think outside the box, allowing a culture to develop. And to embrace the fact that Rwanda cannot only have a cycling culture but to embrace that and that it can be a hub."

ルワンダにはエリトリアほどの自転車文化はなかった。すべてのタイミングが重なったんだ。ルワンダが虐殺の歴史から立ち直ろうとしていたこと、JockがTomに誘われたこと、周りの人が彼の背中を押したこと、、、すべてのタイミングがね。でもルワンダがほんとにユニークなのは、連盟と政府が自国外の人や組織と連携して文化を作ろうとしていたことだ。それに自転車の文化をつくるだけじゃなく、ハブになろうとしていた。

ベロドローム完成のインパクトと、ルワンダ自転車競技の未来

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昨2019年、ベロドロームを建設するプロジェクト予算の承認がルワンダ政府によっておりました。ルワンダの強化体制はより強固なものとなったと言っていいでしょう。それでは、チームルワンダをプロチームにすることが次の目標になるのか?コーチのSterlingは慎重な回答を残します。

"It is real complicated about how you do it. There is not enough of us to go around. There are not enough professionals to have a Continental team," he says. "I think that could be a very real option in the future. My next endeavour is hoping to build a programme here around the economy and training professionals. Not just having athletes, absolutely coaching athletes, the best and most talented around Rwanda and Africa, really searching for that excellence.

チーム運営はとても複雑なことなんだ。運営陣も人が足りないし、十分なプロ選手もいない。でも将来的には現実的なオプションになってくる。私の次の目標はプロ育成の仕組みとトレーニングプログラムをつくること。選手を保有するだけじゃなくて、コーチングをする。ルワンダとアフリカ中の選手を集めてね。

選手は言わずもがな、監督やコーチ、マッサーをはじめとするスタッフの育成も、将来的なチーム運営には必要になるはずです。だからこそ、今は「選手たちをプロチームに送り込むこと」が現実的な目標になってくるのです。

開催地に落ちたとしても、採用されたとしても

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小国であるゆえに、絶対的なパイが少ないゆえに、継続的に良い選手を輩出し続けることは間違いなく難しい。それでもルワンダが成長を続けるのは、指導陣の熱意の賜物なのかな、と感じました。

そろそろ発表されると思われる2025年の世界選手権の開催地。ルワンダが選ばれたとしても選ばれなかったとしても(本記事では詳しく述べませんでしたが)避けられない現実として、世界選手権などのビッグスポーツイベント開催はコスパが悪いという厳しい事実があります。2017年世界選手権開催地のベルゲンの主催団体が破産に追い込まれたように。東京五輪が高額予算の批判にさらされているように。

復興の道のりにあるルワンダが赤字覚悟で世界選手権を開催することは、同国イメージアップのためにつながり、自転車競技のグローバル化につながる、私は個人的にはそう信じていたい。でも、これを楽観論だと批判的にとらえる人もいます。世界選手権開催は国の借金を増やすだけだし、自転車スポーツの盛り上がりにも貢献しないことは歴史が証明している、と。2025年の世界選手権はルワンダで開催されるべきか否か。正解のない議論ではありますが、少なくともルワンダは虐殺の歴史から立ち直りつつある。この事実は議論の余地もなく明るい希望だと思うのです。

参考ソース

 

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