リッチー・ポート、ツール初表彰台までの道のり。苦楽10年を振り返る。
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例年にも増してドラマが満載だったツール・ド・フランスが今年も閉幕しました。逆転負けを喫して失意のログリッチよりも、まだ自分が成し遂げたことを実感できていない様子のポガチャルよりも、表彰台の喜びを噛みしめているように見えたのがリッチー・ポートです。そんなリッチーの苦楽10年ツール史を振り返ってみました。

2011年。同郷のエヴァンスが集大成の総合優勝を遂げたツールで初出場。

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同郷のカデル・エヴァンスが34歳にして待望&初の総合優勝を遂げた年に、ポートはツールデビューしました。写真は翌年移籍することとなるスカイ(現イネオス)GMのブライルスフォードとツール期間中に話す様子。

2012年。ウィギンスのアシストとしてSky初優勝に貢献。

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Skyに移籍し、さっそくスーパーアシストとしての本領を発揮します。ウィギンスの山岳最終局面でのアシストとして総合優勝に大きく貢献。

2013年。フルームの初優勝を共に祝う。

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翌2013年にはフルームの初優勝、スカイにとっては2つめとなる総合優勝。最後までフルームを守り切り「スカイ強し」を印象付けたのは、間違いなくリッチー・ポートでした。

2014年。エースが去ったチームで奮闘するも失速。

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再度フルームをエースに据えて挑んだ2014年のツール・ド・フランス。第5Sでそのフルームが落車リタイアとなり、急遽エースとして走ることなります。中盤までは下馬評通りの強さを見せニバリに次ぐ総合2位につけていたものの、第13Sで大ブレーキ。9分の遅れを喫し最終的には1時間遅れの総合23位でツールを終えることに。

2015年。スーパーアシスト復活。

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「エースになると弱い」との評判が立ってしまった前年のツールを経て、2015年はフルームの右腕としてアシストとして実力を遺憾なく発揮。一時期は山岳賞ジャージも着用します。

2016年。満を持して移籍。エースとして初の一桁となる5位。

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「最初からエースで走ったらどれくらい速いのか」「打倒フルーム筆頭候補」との評判が立っていたリッチー・ポートは2016年、満を持してBMCに移籍します。エヴァンスが2015年に引退した穴を埋めることとなった同郷のポートは、まずまずの活躍を見せてツール総合5位に。第2Sでのパンクによる2分遅れがなければ表彰台は固かったと言われます。写真はエース・ポートVSランニング・フルームの図。

2017年。リベンジを期したツールは第9ステージで落車リタイア。

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ツアーダウンアンダー、ツールドロマンディで総合優勝、前哨戦のドーフィネでも2位と好調でツールに乗り入れ「今年こそは」と期待が高まった2017年、ポートに悲劇が襲います。第9ステージ、勝負がかかった山岳の下りで激しく落車。そのままリタイアに追い込まれてしまうのです。

2018年。魔の第9ステージ。石畳に沈む。

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不運は翌年も続きます。前年と同じ第9ステージ、パリルーベでも使われる石畳区間で再び落車。悔し涙でツールを後に。

2019年。魔の第9ステージを乗り越え完走。

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2019年には魔の第9ステージを乗り越え無事完走。しかし最盛期のキレはなく総合11位と、次々と現れるニューカマーの台頭により「もうポートは表彰台すら厳しいのではないか」との声が多数派になった年でもありました。下は第9Sを突破しリッチー大喜びのツイート。

2020年。35歳にしてベストリザルト&表彰台。

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10度目のツール。「エースとして走るのは今年で最後」と背水の陣でやっとつかんだグランツール初総合表彰台。熱い総合争いを繰り広げた主役2人のスロベニアンの横で、リッチーポートの顔には深く静かな笑顔がこぼれていたのです。

 

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