
突然ですが、最近StravaとGarmin Connectにハマっています。
デジタル革命が、私達自転車乗りにもたらしたSNSとセルフトラッキング。StravaとGarmin Connectはその2つを兼ね備えた最高のアプリなんです。Zwiftの資金調達も決まって、今熱い分野でもあるトレーニング系アプリ。
こうしたテクノロジーとどうやって付き合っていけば良いのか?というのがこの記事のテーマ。
参考にしたのはBicyclingの英文記事(Why Social Media is So Addictive to Cyclists- and How to Use It to Ride Better;なぜ自転車乗りはSNSにハマるのか-そしてどうすれば上手くつきあっていけるのか)。基本的にはパクりですが、味付けしてお伝えします。
超・長文ですのでお時間あるときにゆっくり読んでみて下さい。

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Contents
① 自転車乗りにとってデジタル化は避けられない変化だ。
自転車ほどデジタルと相性のいいスポーツはありません。
まず、自転車はいろいろなものが計測可能です。
スピード、パワー、ペダル回転数、心拍数などなど。他のスポーツでパワーを計測しようと思っても、自転車のようなメカがそこに組み込まれていない限り、かなり難しいでしょう。メカを使うスポーツほどデジタルとの相性がいいのです。
また、自転車は他のスポーツと比べて、元来記録に残したり人とシェアしたくなるアクティビティです。
より長く、より速く、より遠くへ。クレイジーな走行距離、獲得標高、走行時間などなど。走れば走るほど記録に残したくなるのです。
② 依存してる?それは決して偶然じゃない。
スマホと同じように、サイクルコンピューターやGPSウォッチ、Garmin ConnectやStravaなどのアプリを、なくてはならない存在のように感じていませんか?
かく言う私もその一人。GPSウォッチを忘れてランやロングライドに行くと、何か大切な物が足りないように思ってしまう。
少なくとも「定期券忘れた!」くらいのインパクトはあります。
これ、決して偶然ではありません。
なぜなら、そうしたガジェットやアプリは、ビヘイビアデザイン(ユーザーの行動や習慣を導くような設計)に基づいてしっかり作り込まれているから。ビヘイビアデザインとは、アプリの使用自体がその人の習慣を生むことを目指した設計の手法です。「Hooked ハマるしかけ」著者のEyal氏の言葉を借りれば、その道のプロであるビヘイビアデザイナーは「ユーザーが〇〇するたびに、そのアプリを使う」ような設計をすることを目指しています。(詳しくはリンク)
ちょっと悪い言い方をすれば、アプリ開発者の思い通りに私たちは動いてしまっているということ。そうしてデザインされたアプリがもつべき機能のひとつが「報酬」です。例えばStravaでいえば、自己新記録機能、リーダーボード機能がこれにあたります。この報酬機能、心理学的には「intermittent reinforcement(間欠強化)」と呼ばれる動物の行動の条件づけに関する法則を応用しています。
例えるならば
お手伝いをしたら、お小遣いがもらえる→お手伝いをするようになる。
というようなものです。
ここでキーとなるのが「間欠」という概念で、「常に反応があるわけではない」というポイント。常に反応があるとマンネリ化しますよね?たまにしか反応がないから、その報酬を当たり前と思わないから、報酬を得ることに喜びを感じてモチベーション低下にもつながらないというわけです。ツンデレがモテるのと同じ。
③ テクノロジーはライドの面白さを加速させる。

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ちょっと話がそれました。ライドの話に戻ります。
シリアスなロード乗りであれば「先週の日曜150km走った(ドヤ)」と友人にふとした瞬間に話してしまい、若干引き気味の顔で聞かれたことがあるはず。
「え、なんでそんなことするの?何が楽しいの?」
そして思ったことがあるはずです。
「あれ、なんでだっけ?」
これは個人的な意見ですが、ぶっちゃけ理由なんてないでしょう。この世界はロジックだけでは説明できないことだらけですから。
なにはともあれ、そこで活躍するのがデータ。セルフトラッキングで得られたデジタルデータは「自分が流した汗と涙は無駄じゃないんだ」という証になるのです。理由は説明できなくても、少なくとも頑張った証にはなる。
アメリカ・南カリフォルニア大学の研究によれば、ある人が旅行中に写真をとると、その人が感じる楽しさは増加するといいます。私がいま写真を撮ろうとしているこれは一体何なんだ?という気持ちが、世界を見る目をも変えるから。ちなみにこの研究者はトライアスリートでもあり、日々のトレーニングの記録をとることにも同じような効果があるということを証言しています。
私がいましているトレーニングの目的は一体何なんだ?という気持ちが、トレーニングへの姿勢を変えるから。
オーストラリアのキャンベラ大学の研究で18人の自転車乗りを対象にした研究があるのですが、そこでも面白い結果がわかりました。自転車乗りがどのようにデジタルデータを活用しているのか、ということを詳細に観察した結果、彼らはトレーニングや分析のためにデータを利用しているのではなく、むしろ「スピードやパワー、心拍数のデータを見ることでそのライドの記憶を思い出している」のだというのです。
「おーめっちゃスピード出てる。そういえばあのダウンヒルは最高だったな!」とか。
「心拍数跳ね上がってるな。そういえばあの上りはキツかった!」とか。
確かに、私にも思い当たるフシがありますね。
④ もっと長く乗れるようになるし、もっと速く乗れるようになる。
さらに、トレーニング強度についてもSNSは大きな影響を及ぼすことが分かっています。
MIT Sloan School of Managementのソーシャルメディア専門家Sinan Aral氏は、この効果をContagion(伝搬)と読んでおり、彼の研究によって、ある人がアップロードしているSNS上のトレーニング記録が、その友達のトレーニング強度に影響を及ぼすことがわかりました(原文はこちら)。
Aral氏が110万人のユーザーを5年間にわたり分析したところ、ある人がある日1km長く走ると、その友達は同じ日に平均して0.3km長く走るということが分かったというのです。スピードについてもしかり。
友達が頑張っていると自分も頑張ってしまう。
というあれですね。
頑張りすぎている友達がいると、逆にやる気なくすパターンもあるみたいですが。
⑤ 問題は、長く速く走れるということが、必ずしも楽しいとは限らないっていうこと。
確かに、友達の頑張りに刺激されてモチベーションが高まることは良いことです。
でも、これはとても大事なことなのですが、自転車に乗る理由は人それぞれ違います。
ポタリングしたいのに、ゆっくり楽しみたいだけなのに、トレーニング記録を気にして頑張りすぎるのはきっと心地よくないでしょう。それに、頑張りすぎて故障したり、落車したり、事故にあっては元も子もありません。
それだけではないです。常にレースのようなプレッシャーを強いられ、競争心を煽られることは、メリハリをつけるべきトレーニングの観点からも良くありません。
あるベテランコーチの言葉を借りるのであれば、
「もしStravaの自己最高記録やKOMのためにトレーニングしてるんだったら何の問題もない。でももし、レースのためにトレーニングをしているのであれば、SNSやセルフトラッキングにのめり込む以外にすることがあるはずだ。」
ということです。
⑥ 時々、私達は本物の体験を見失う。ライドの目的がコンテンツ作りになってしまう。
SNSとセルフトラッキングアプリの普及により可能になったこと。それは、サイクリングのデータや写真を「あとで」楽しむということです。サイクリングそのものを、ライドの「最中に」楽しむこととは別に。
楽しみ方が増えたこと自体は素晴らしいことです。
それでも、Instagramで5万人のフォロワーを持つAndy Bokanev(シアトルの写真家でアマチュアレーサー)は注意を投げかけます。
「時々、フォロワーに響くかどうかが一番の関心になってしまう。例えば、すごい良い夕暮れの写真がとれそうだ!と思ったとしよう。そうすると、完璧な写真を取るために試行錯誤するんだ。iPhoneで完璧な写真なんて永遠に取れることはないのに。そして、あーだこーだしてるうちに日は沈んでしまう。ただそこにあるだけの素晴らしい夕暮れをぼんやり見ることだって、十分尊いことなのに。」
これは自転車乗りに限った話ではなく、サーフィンでも同じような変化が起こっています。University of Georgiaの心理学者Keith Campbell氏は言います。
「昔はなにか凄いことをしている姿を人々に見せるだけで、その噂が広まり、レジェンドになることができた。今じゃ、レジェンドになるためにはムービーが必要だ。」
さらによろしくないことに、コンテンツの出来栄えが、ライドの思い出すら左右してしまう事もあります。「SNSによる記憶の上書き保存」がおきるんですね。良い方向に上書き保存されるなら良いのですが、逆だと大変です。
「いやー素晴らしいライドだった!」と思ってたのに、いざSNSにアップしたら、全然いいね!がつかなかったり。
「いやー今日は調子が良かった!」と思ってたのに、いざセルフトラッキングのログを振り返ったら全く自己記録に及んでいなかったり。
そして記憶と記録に齟齬が生じてしまう結果、私達は厳しい選択を迫られます。
記録を拒否するか、記憶を拒否するか。
いずれにしても気持ちの良い選択とは言えません。どちらにせよ、私達は心理学でいうところの認知的不協和(cognitive dissonance;自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態とそれによる不快感)にさいなまれることとなるのです。
⑦ でも大丈夫。バランスは絶対に取れる。
じゃあどうすればよいのか?
時々でいいので、あえてGPSウォッチを外して走ってみる、SNSにも投稿するのをやめてみる。
これが個人的にはおすすめです。
先述のフォトグラファー、Bokanev氏も言っています。
「単調なソロライド、ルーティーンのトレーニング、インドアトレーニングではちゃんと記録をとって分析もしたいから、僕はGarminをつけてデータも見る。でも走ること自体が面白くて、データも殆ど意味がなさないときは、数字を気にしないようにしているんだ。レースとかグループライドのときとかね。」
私達は、時々自分自身に聞いてみる必要がありそうです。
本当にライドを楽しめていますか?
ライドを楽しんだ結果、データや写真がついてきたのか?それとも、データや写真を取るためにライドをしているのか?
これって大きな違いです。前者の場合、データや写真がなくてもいいけど、後者の場合、データや写真がないとただ時間を無為に過ごしたことになってしまう。
そして更に大事な質問。
あなたは誰のために走っていますか?
フォロワーのため?自分自身のため?
もし自分自身のために走っているのなら、
それは「今、自転車に乗っている」自分自身のためでしょうか?
それとも自分がストックしているデータや写真のためでしょうか?
記憶と体験は、データよりもずっと大事なはずです。誰でも簡単にデータ収集や分析ができるようになったデータ偏重のこんな世の中だからこそ、記憶と体験はかけがえのないものになっているんじゃないのかな。
そんなことを思った、クリスマス前の年末の週末でした。
最後に。管理人のひとりごと。

Photo by Coen van den Broek on Unsplash
誤解のないよう言っておくと、私個人はSNSやセルフトラッキングアプリはどんどん活用すべきと思っています。単純に面白いし、モチベーションにつながるから。それでも注意すべきことは押さえとかないと、あらぬ方向に行ってしまう可能性があるな、と感じたのでこの記事を書きました。
5歳くらいから20年超、今までずっとがっつり自転車乗ってきて、自転車界隈のことも少しは分かってたつもりでしたが、Twitterには初めて見る世界がありました。SNS独特の世界観なのか、自転車乗り独特の世界観なのかよくわかりませんが、ちょっとしたカルチャーショック。何を批判しているのかよくわからない誹謗中傷。突発的に繰り出される袋叩きとマウンティング。的の外れた議論。
自転車を楽しむTwitterユーザーがシェアしたいものって、ゴシップとか、誹謗中傷とか、揚げ足取りとかじゃないはずなんです。さらに誤解を恐れず言うなら、小難しいメカの話とかトレーニング理論もちょっとずれている気もする。もっと純粋に、レースで繰り広げられるドラマが楽しいとか、もっと単純に、自転車に乗ってる時に感じる風が気持ち良いだとか、そういう感覚的なものを私達は共有したいんじゃないのかな、と思うんです。
でもそれが上手く伝えられないから、こっ恥ずかしいから、メカとかマナーといった話になってしまうんですよね。そして、メカとかそれに絡むお金の話、そして「こうあるべき」というマナーの話になると、ネガティブな感情が加速しやすい。
わかります。わかるんですけど、それってあまり気持ち良くないですよね。
「とりあえずこのタイムライン、もっとワクワクする情報で埋まらないかな。」
そんな思いが、私がこのブログを始めてしまったきっかけです。だから、意地でもワクワクする情報を発信し続けようと思います。自転車界の盛り上がりに、少しでも貢献したいから。
私を育ててくれた自転車に恩返し。長文駄文失礼しました。
メリークリスマス!