ドーピングをランス本人が語るドキュメンタリー放映。なぜドーピングは悪なのか。
Photo by Hase on Wikipedia

I’m not going to lie to you now, I’m going to tell you my truth.
私はあなたに今度は嘘をつかない。私にとっての真実を話そう。

ランス・アームストロングが自らのドーピング問題を語るドキュメンタリーを米ESPNがリリース。英メディアのCyclingnewsなどがランス関連の記事を書くと、毎度のことながらコメント欄は大荒れの様相を呈します。「ランスがまた金を稼いでいる」「もう飽き飽きだ」「ランスでPV稼ぎなんて低俗だ」「ランス関連の記事を私は今後一切読まない」などなど。。今回もまたしかり。

このテーマで書くか迷いましたが、レースも中々ない中、今こそドーピングについて落ち着いて考えてみるいい機会なのでは?ということで、まとまりもなく散文的に書きました。

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意外と「なんでドーピングは良くないのか」って考えない


(ESPNドキュメンタリー"LANCE"予告編)

そもそもなんでドーピングって良くないのよ?というお話。

「ずるいから」「体に悪いから」で片付けて考えるのをやめがちですが、この2つの理由だけだと、

「みんなやってる」「体に悪くないという2つの状況が揃ってしまえば「あれ?したほうが良いじゃん」となります。あら正当化って簡単。

それではWADAは何を掲げてアンチ・ドーピングを推し進めるのでしょうか?長々と引用しましょう。

アンチ・ドーピング・プログラムの目標は、スポーツ固有の価値を保護することである。これは、「スポーツの精神」と呼ばれる。これは、オリンピズムの真髄でもあり、各人に自然に備わった才能を磨き上げることを通じ、人間の卓越性を追求することでもある。これにより、我々は「プレイ・トゥルー」の精神を実現する。スポーツの精神は、人間の魂、身体及び心を祝福するものであり、次に掲げる事項を含む、スポーツに内在し、スポーツを通して実現する価値に反映されている。

<中略>

ドーピングは、スポーツの精神に根本的に反するものである。スポーツの精神を推進することによりドーピングと戦うため、本規程は各アンチ・ドーピング機関に対し、若い世代も含む競技者及びサポートスタッフのための教育及び予防プログラムを策定し、実施することを要求する。

だめだ頭に入ってこない。。

そうだそうだ「スポーツの精神」に根本的に反するから良くないんだ!ドーピングすれば競技能力は向上するかもしれないけど、倫理的にも人格的にもよくない。ルールを守れないなんて、そのスポーツやほかの選手へのリスペクトがないし、それで勝って喜びが得られるとは思えない。ドーピングをするのは勇気のない弱い人間だ。

とても正しい。でも、、、なんだかとってもキレイゴト感が強い感がしませんか?

これ、競争と報酬について全く言及されてないから、だと思うのです。

なぜ「フェア」が大事なのかも、意外と考えない


(NETFLIXドキュメンタリー"ICARUS"予告編。ロシアの国家ぐるみのドーピング疑惑を追う衝撃作品)

競技スポーツとは、すなわち競争です。勝者と敗者がはっきりとした世界。そして勝者は賞賛や名誉という報酬を、時には金銭的な報酬を得ます。

スーパースターのサッカー選手に憧れるの少年が多いのは、みんなから喝采を浴びて、有名になって、お金持ちになれるから。「報酬が欲しいんじゃなくて己の限界に挑戦したいんだ」と語る子供がいれば将来大成するでしょうが、現実にそんな子はなかなかいません。

そして、報酬を求め競争に身を投じていると「フェア」に勝つことの意義が薄れてきてしまう可能性は誰にだってあります。勝って報酬を得るためには、何をしたってかまわない、と。ずるいと言われるかもしれないけどドーピングだってありだ、と。

しかし、これは少々短絡的。なぜなら「フェア」に勝てないと報酬が得られないから(もしくは一度手に入れた報酬を失ってしまう)。

JADA(日本アンチ・ドーピング機構)のホームページに「なんでドーピングは良くないのか」というのを先ほどのWADA規程よりわかりやすく説明してくれている箇所があったので引用しましょう。

競い合う相手がドーピングをしているかもしれないという疑いがある時、自分自身が真剣にスポーツに打ち込めるでしょうか?相手の勝利を心から称えることができるでしょうか?また、スポーツにおいてドーピングが当たり前になってしまったら、どのようなことが起こるでしょうか?スタジアムへスポーツを見に行きたいと思うでしょうか?家族や友達にスポーツをやってほしいと思うでしょうか?

ドーピングが蔓延すると、フェアなスポーツは成立しなくなります。そして、スポーツの土台を支える「フェア」が無くなってしまうと、その上に築かれている、スポーツが持つ多様な価値は壊れてしまいます。それは、スポーツの社会的な信用を失墜させることにもつながります。さらに、ドーピングは健康上の被害を引き起こす可能性がある危険な行為でもあるのです。

そう、あらゆるスポーツは限定された環境で、決められたルールの中で「フェア」であることが前提となっています。そうでないと勝敗を決められないから。そしてそんな戦いで感動や賞賛など、スポーツらしい感情の起伏は生まれません。

ランスが嫌われる理由の一つに「金持ちだから」というのがあって、ロードレースの社会的信用を落としたくせに、自分はそれを飯のタネにして食っているというのが気に入らないというのがあります。ただ、名誉とか賞賛といった報酬は確実に大きく失っているんですね。ロシアの陸上選手等が過去に残した成績についても、疑問符という一生消えないレッテルが張られてしまっています。

でも「フェアである」ことを私たちが良しとするのは、本当に勝敗を決められないからだけなのでしょうか?

虚構としてのスポーツに必要不可欠な「フェアさ」

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世界的なベスト・セラー「サピエンス全史」とその続編「ホモ・デウス」で、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、人類は虚構(フィクション)を作り出すことによってほかの動物にはできなかった大規模な協調行動をとることが出来たため繁栄したと主張します。

虚構の代表例としてよくあげられるのが、法律やお金。「法律なんてただの文章でしょ」「お金なんてただの紙切れ」という価値観の人が多数派だとしたら、今あるシステムは何も機能しなくなり、人類はあっという間に社会生活が営めなくなってしまうでしょう。しかし、事実として、人間以外の動物にとっては法律なんてただの記号の羅列だし、お金なんてただの紙切れです。勝手に人間が意味をつけてその価値観を全員が共有してるから、奇跡的にそのシステムが機能しているのです。偽札をつくったり法律を破ったりして自分だけが得になることをする人はごく少数ですから、制裁を加えることでシステムは保たれている。

スポーツは虚構の最たるもの。サッカーでフォワードがボールを脇に抱えてゴールに突進することがないのは、プレーヤー全員と観客全員がそのプレーはもはや「サッカー」ではない、つまり「フェアじゃない」という価値観を共有してるからです。もしそんな選手がいたら、一発退場でしょう。でもそれが良くないことだと大多数の人が理解できるというのは、かなりスゴイことです。そもそも人が生きるためにボールを大人数で必死に蹴り続ける必要なんてないのに、しかもその間ずっとこの高度に進化した手を殆ど使っちゃいけないなんて!

つまり、スポーツとは、人間が自らの特殊能力を使って作り上げた非常に危なっかしい虚構であり、だからこそ人間らしさ溢れる素晴らしいエンターテイメントであり、その虚構が機能するためには、「スポーツマンシップ」というフワッとした価値観が大事で、ドーピングは許されるものではないのではないのです。もちろん、この共同的価値観というものは時代とともに変化しますから、何百年というスパンで見れば現在「ドーピング」とされるものが当たり前に称賛される日が来る、もっと言えばアンフェアがむしろ良しとされる世界になる可能性はゼロではありません。ただ、今の人間の価値観をベースにスポーツというものは発展してきましたから、その形においてはドーピングをはじめとするアンフェアさは悪とされるのです。

考えすぎだよ、とも思うけど

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考えすぎかなぁとも思ったのですが、ランスやロシアをきっかけにあれだけの騒動になったあとでも、なかなかドーピングがなくならない現状をどう理解すればいいのか、考えちゃいました。壮大すぎだ、と鼻で笑ってくれるくらいでちょうどいいかと。誤解してほしくないのは、スポーツって虚構だね、しょうもないよねって言いたいわけじゃないということ。寧ろ、だからこそスポーツはとても人間らしくて素晴らしいって言いたいんです。

私はもともとランスのファン。小学校の読書感想文はランスの本でしたし、なけなしのお小遣いで買ったLIVESTRONGのリストバンドの束はタンスの奥に眠っています。翻って現在は、人並みに嫌い。でも個人的な感情レベルでそう思ってるだけなので、今でも好きな人がいるのは理解できます。そして、嫌いだからこそ彼がこのドキュメンタリーでどのように語るのか見てみたい。

子供のころ好きだった選手が次々とドーピングで摘発されていくという体験を経て唯一良かったのは、「疑う」という能力を手にしたことかなぁと思ってます。相手がだれであろうと、そう簡単には騙されんぞ、と。まあ役に立つこともあれば、虚構を信じることで機能してるこの社会で生きてると障害になることもあるんですが(苦笑)。端から否定してかかっちゃただのいやな奴なので、そこらへんの塩梅は難しい。コロッと騙されることもよくあります。にんげんだもの。

何はともあれ、このコロナ禍をきっかけに、自転車選手だけじゃなく、いろんなスポーツ選手や団体が各々のスポーツの価値について考えて、よりクリーンになることを願っています。

参考ソース
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