コロナウイルスのせいで大会中止となってしまい悔しいあなたに。
Image by WHO

ネガティブなニュースを扱うのが苦手なChariyorumですが、UAEツアーが中止になる等トップレベルのスポーツイベントでも全世界的に影響が大きくなってきたので重い腰をあげて考えてみました。

そう、コロナウイルスについて。

様々な大会のコロナウイルスへの対応の是非を議論したいのではなくて、マインドセットのお話をお伝えしたく。

スポンサーリンク

大会中止を「良いか、悪いか」だけで判断するのはやめよう

わたしが思うに、人はドラマチックな本能のせいで<中略>いわゆる「二項対立」を求めるのだ。良いか悪いか、正義か悪か、自国か他国か。世界を2つに分けるのは、シンプルだし直感的かもしれない。しかも双方が対立していればなおドラマチックだ。わたしたちはいつも気づかないうちに、世界を2つに分けている。

もっと多くの人に、良い奴が悪い奴を倒すっていう本能に忠実なアメコミ的世界観じゃなくて、なにが善でなにが悪なのかあいまいな、もののけ姫(古い)的な世界観を持っていてほしいなと思うのです。

そもそも立場とか背景が異なるたくさんの人がよってたかって「良い」「悪い」と議論したところで、結論がひとつに収束することなど殆どありません。明らかになるのは「こういう観点では良い」「ああいう観点では悪い」という当たり前の視点の違いだけです。そして、それぞれの観点の重みはもちろん人によって違います。

それから、犯人探しも人間の本能の一つ。政治家が悪いんだ、日本社会が悪いんだ、メディアが悪いんだ、感染してるのに入国してくるやつが悪いんだ。そう言って文句を言うことはとても簡単です。でも「そいつが悪い」となってしまうと、将来同じような問題が起きた時に、また同じ犯人を叩くか、違う犯人を捜して叩くことになるだけで、問題の解決にはなりません。

世界は思ってるよりずっと複雑で、大体の場合、様々な原因が絡み合って悪いことは起きています。誰かが見せしめのように叩かれてたら、一緒になって叩く前に、相手が正しいかもしれないという前提に立ってこう考えてみましょう。

「なぜ、このやり方が理にかなっているんだろう?」

コロナウイルスはいつか収束する

「状況は良くなっている」と言うのと、「万事オーライ、心配ご無用」と言うのは同じ意味だろうか? もちろん同じわけがない。「悪い」と「良くなっている」の、どちらかひとつを選ぶべきだろうか? もちろんそんなことはない。両方選べばいい。

コロナウイルス感染者数を現した上のグラフ(オレンジが中国本土の感染確認数、黄色がそれ以外の感染確認数、)を見たときに、あなたは何を思いましたか?増えてるな。もっと増えそうだな。と思ったのではないでしょうか。それが人間の本能です。

でも、永遠に感染が拡大し続けた感染症はありません。まだ記憶に新しいSARSやMARSも然り。5億人以上が感染して0.5-1億人が死亡したスペイン風邪も然り。

コロナウイルスなんて大したことないから心配するな、と言いたいわけじゃありません。死亡者や苦しんでいる人が現に存在する状況で、そんな事を声高に主張するのはモラルがなさすぎます。

「いつかは収束する」ということを心にとめつつ、「自分が収束させてやる」という気概のもと、こまめに手洗いうがいをして、たくさん寝て、栄養バランスの良い食事をとりましょう。

その大会"だけ"でしか成し遂げることができない本質なんて殆どない

焦り本能が顔を出すと、ほかの本能も引き出されて冷静に分析できなくなる。そんな時には時間をかけて、情報をもっと手に入れよう。いまやらなければ二度とできないなんてことはめったにないし、答えは二者択一ではない。

コロナはいつか収束する。という前提に立った時に、目標にしていた大会が中止になってしまった私たちが忘れてはいけないこと。

それは、その大会は来年も開催されるし、似たような大会はきっとどこかで開催されているという事実です。

「いつやるの?いまでしょ!」「チャンスの神様には後ろ髪がない」「明日死んでも良いように生きろ」などなど、現代社会は威勢のいい言葉であふれています。深呼吸してください。明日死んではいけません。わかりやすいように大げさに言ってるだけです。

有り体にいえば、

※この画像はイメージです

みたいなもの。

人は手に入っていないものよりも、失ったものの価値を大きく感じてしまいます。大会中止でいうなら、A)出るはずだった大会を出れなくなる事と、B)その大会にもともと出ないという決断をしていた事では、「出場しない」という結果は同じなのに(出場フィーを失っている場合は厳密にいえば違いますが。。)前者のほうが気持ちが圧倒的に落ち込むわけです。

そんな人間の哀しい特性をちゃんと認識して、失ったチャンスのことは忘れて、別のチャンスを探しましょう。

あなたが厳しいトレーニングを積んで成し遂げたかったことは「今そのタイミングで」「その大会で」「その成績を残すこと」なのでしょうか。それとももっと本質的なことなのでしょうか。本質を忘れないようにしたいですよね。

コロナウイルスもだけど、交通事故に気を付けよう

全死亡数の0・1%を占める自然災害、0・001%を占める飛行機事故、0・7%を占める殺人、0%を占める放射線被ばく、0・05%を占めるテロなどだ。どれも年間死亡者の1%にすら届かないにもかかわらず、メディアは大々的に取り上げる。もちろん、それぞれの死亡率を減らすための努力は必要かもしれない。しかし、恐怖本能が人々の判断力を鈍らせることは、忘れてはいけない。本当に危険なことを察知し、大切な人を守るためには、恐怖本能を抑えて、死亡者数を見極めることだ。

コロナももちろんですが、私たち自転車乗りが気を付けなければいけないこと、それは交通事故です。

自転車に乗っている際に交通事故で死亡した人は世界中で4万人超/年 (2018, WHO)。日本では約450人/年 (2018, JAF)。※日本での自転車事故死者数は10年間でおよそ半分程度になっている、つまり「悪い」けど「良くなっている」ということも明言しておきます。

リスクというものは無数にあります。網羅的に評価しましょう。そして、すべてのリスクに対応することは困難だということも忘れてはいけません。優先順位をつけて、実現可能で効果の高い対策から順番に、できるだけ多くとっていく、というのがセオリーです。

最後に。数字いじりの罠。

仮説を検証するためにデータは必要だが、仮説をどこからひらめくかというと、人と話したり、話を聞いたり、観察したりすることからだ。世界を理解するのに数字は欠かせないけれど、数字いじりだけで引き出された結論は疑ってかかったほうがいい。

TV、新聞、SNS、友達、先生、同僚、、、私たちは日々気づかぬうちにあらゆる言葉や主張を半強制的にインプットされています。

その中で特に印象的な主張は何でしょうか?権威のある人の意見。尊敬する人の意見。好きなアイドルの意見。極端で力強い意見。たくさんの人が同意している意見。。。

その一つに、「数字・データ」をもとにした意見というものもあるでしょう。数字は人の気持ちを動かします。これがファクトだ!(ドヤ)と。

数字やデータは、いうまでもなく大事です。でも、その数字は正しいのか?ほかの数字と比較してどうなのか?その数字はどのような主張を持つ人が使っているのか?そもそも本当にそれは数値化できるものなのか?と、数字いじりを疑う事も同じくらい大事であると、最後に付け加えておきたいと思います。

まとめ。

主張を耳にしたら、まずデータを見る。相手の主張が正しいと思ったら「本当に正しいのか?」と疑ってみる。そして、相手の主張が間違っていると思ったら「なぜそれが理にかなっているのか?」と問うてみる。そういうことです。

さて、コロナウイルスもはや関係ない、一般論かつ胡散臭い自己啓発的な話になってしまいましたが、この姿勢で、もう一度この記事を読んでみてください。また新たな気づきがあるかもしれませんよ。

参考ソース

スポンサーリンク

Twitterでもタイムリーにつぶやいてます