誰でもメディア時代。自転車界が盛り上がっていくためにあるべきメディアの姿とは
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日本選手権では若手からベテランまで熱い走りが繰り広げられ、ツール・ド・フランスが一歩前まで迫ってきたこの時期。そしてなんといっても……夏がきた!梅雨があける!日が長い!自転車めっちゃのれる!

そんな季節に似合わぬ真面目な記事を書いてみました。

前回の記事で「メディアが選手のメンタルに及ぼす影響」という記事を書きますといってからはや2週間。

偉そうな記事を書こうと思っていろいろ調べてみたら、私のブログがコンプラ意識ゼロなダメブログだったことが判明したので、いちからやり直そうと思ったという話です。

ついでにテーマも「これから自転車界が盛り上がっていくために、メディアはどうあるべきか」に変更しました。

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ここ十数年くらいの自転車メディア変遷歴

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"In the old days, you would become a local legend by word of mouth or by doing something legendary that people saw,” he says. “Today, to be a legend, you need video"

小学生の頃、私が自転車について触れる情報といえばCycle Sports、Bicycle Club、Triathlon Japanといった紙の雑誌でした。そこに書かれたトップ選手のレースやストーリーに刺激され、ここにいつか載るぞ!とか夢見たりしながら子供時代を過ごしてきました。そうした紙の雑誌に載ることが、一つの成功なんじゃないかと思っていたのでしょう。実際、私はそこに夢をみていました。

インターネットが急速に普及し始めた中学生くらいのころに、ネットメディアとしてCYCLING TIMEやらCyclowiredやらが出てきて、雑誌を読まなくてもいろいろなレースの情報や選手の物語が見れるようになり、紙の雑誌から急速に離れていったのを覚えています。

スマホがでてきてSNSが流行り始めたのも、たしか中高生くらいのころ。最近は記者と編集者とが体制組んでやっているネットメディアはもちろん、SNSやYoutube、個人が趣味でやってるこのようなブログが人々の情報収集源として多く活用されるようになっています。

で、紙の雑誌やTVといったメディアが昔の私に夢を与えてくれたように、今のSNSやネットメディアが発信する情報って夢を与え続けているんだろうか、と疑問に思ったのです。夢があって当たり前という価値観も結構メンタルに良くないですが、特にSNSにはネガティブな情報が必要以上に飛び交っているように思えたので、ここらへんについて考えたくなったわけでございます。

ネットメディア・SNSが抱える欠陥

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タイトルだけを見て「別の理解をする」というのは、ソーシャルメディア全体の問題であるとも言える。ツイッターでシェアされるメディア記事のURLの、 59% はクリックされないという研究結果がある。これは、米コロンビア大学と仏国立情報学自動制御研究所(INRIA)による研究で、コンピュータのトップ学会である、米計算機学会(ACM)主催のカンファレンスで発表された。タイトルは「Social Clicks: What and Who Gets Read on Twitter?」。発表した研究者は、「人はまとめ、あるいはまとめのまとめに基づいて自分の意見を形成し、深掘りしようとしない」とコメントしている。

限られた文字数でものごとを伝えることには限界があります。

「ロードレースやめた」(14文字)

のほんとうの意味は…

「私は5歳から自転車に乗り始めた。自転車でいろいろなところに出かけるのが楽しくて、そのスピードや風を感じるのが楽しくて、いろいろな景色に出会えるのが楽しくて、ただ自転車に乗っていた。知り合いに誘われて、気づけばレースにも出るようになっていた。ただ自転車に乗っているだけでは感じられないスリルや、アタックがかかった時、スプリントをかける時のアドレナリンが気持ちよくて、さらにどっぷり浸かっていった。勝ったり負けたりしながら、いろいろな人に出会い、刺激をもらった。私をここまで育ててくれた自転車には、正直感謝しかない。でも、そろそろ自分の能力の限界がうっすらとわかってきたし、他に大事なものもできた。きっと今は次のステップに進むときだから、一度ロードレースに出場するのはやめることにした。これからもまた違う形で自転車に乗るし関わることはあるだろう。もしかしたらまたレースに出るときがくるかもしれない。だからこれからもよろしくお願いします。」(約350文字。読まなくて大丈夫です)

なのかもしれないのです。さいしょの1文じゃ全然伝わってないですよね。ビバ妄想力。

別の言い方をすれば、人は言葉足らずの短文を自分がしたいように解釈する。「こいつ嫌い」と思えばその投稿の文字制限数では伝えきれなかった論理の穴を見つけてボコボコにしたくなるし、「こいつ好き」と思えばちょっと「おはよう!」みたいななんの意味もないコメントにいいね!と思っちゃうのです。

これがSNSやネットメディアが抱える欠陥。

深掘りされた情報が拡散しづらい結果として、「人間の本能」をくすぐる過激な言葉やネガティブな情報、エロやグロが幅を利かせることになります。

あらゆるレベルの情報が並列に並ぶネット環境

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SNSやGoogleなどにはもう一つの特徴があります。それは、情報を発信する人が誰であっても、まるで同じレベルの情報源であるかのように表示される、ということです。タイムライン然り。Google検索結果画面しかり。

実際は「SNSやブログで発信する個人」と「体制組んだ大手メディア」の区別をしっかりしないといけなくて、それぞれの特性を知っておくことが賢く生きていく方法かもしれません。「SNSやブログで発信する個人」はえてして大手メディアができない「尖った意見や物言い」が自由にできるという特徴があり、そのためか多くの人が独自の見解で情報発信をする個人(ホリエモンなど)に影響を受けています。

さて、ここで自転車が盛り上がっていくためにメディアがどうあるべきかと言う話に戻ります。

このアクセスを集めやすい「尖ったもの言い」というのが、回り回って選手のメンタルに悪影響を及ぼす可能性もあるという点は、近年のスポーツ界において無視できない事実です。

キッテルも引退発表直前に、好き勝手に批判・意見をする一般のファンやメディアへフラストレーションが溜まったのか「ほっといてくれ!」というようなツイートをしていたと記憶があります。選手も人ですから「自転車競技がどうみられているか」「自分の走りがどう見られているか」は気になります。当たり前です。

真実を伝えたいのか、ドラマを伝えたいのか。ネットメディアがあるべき姿とは

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マスメディアはネットから「マスゴミ」と批判されているが、社会的な影響を考え、報道を抑制することもある。人の欲望に合わせて何もかも伝えるわけではなく、伝えないこともジャーナリズムの大きな役割だ。このような考えは、歴史を振り返れば、新聞が社会の中に浸透し、信頼を得ていく過程で整備されてきたことだ。かつて新聞社も、ネットのニュースサイトと同じように、内容が薄い扇動的な記事や虚偽の物語、派手な見出しで競い合い、売り上げを伸ばした時代があった。1890年代、アメリカの新聞による過激な競争は、人々から「イエロー・ジャーナリズム」と呼ばれ、批判されるようになる。新聞記者は荒くれ者で尊敬されない職業だった。

今は、ネット上で人々の注目をいかに集めるか、アクセスを稼ぐか、その方法論を語る書籍やネット記事があとを経ちません。SEO界の名作!みたいな本も読みましたけど、「共感が大事」とか語りながら、ぜんぜん共感できないし興味持てないというか。。。参考になる点もたくさんあるけど、正直この本書いた人にはなりたくないな、と思ったのを覚えています。

他にも「言い切ることが大事!」みたいなのもあります。たしかに、自信満々に言ってたらそれっぽいし正しく聞こえますよね。でも残念ですがこの世の中そんなに単純じゃないわけで、私達がわかっているのは「私達はこの世の中についてほとんどなんにもわかっていない」ということくらい。ソクラテスか。

英大手メディアのCyclingnewsやCyclingWeeklyはそうしたやや扇動的なタイトルが並んでいて、お互い競うように噂段階でのキャッチーな話も記事にしたりドーピング関連などのネガティブ記事もガンガン出しています。一方でCyclingtipsはオリジナル路線。日本のCyclowiredやCyclistは平和なタイトルが多くてあまり扇動的な記事はないですね。さすがマナー大国日本。

悪者扱いされがちなメディアの本当の功績とは?

さて、そんなこんなで悪者扱いされがちなメディアや情報発信する個人ですが、いい側面はないのでしょうか?

もちろんあります。

一つは「世の中の盛り上げに大きく貢献できる」ということ。例えば、Jリーグ黎明期盛り上がりの一つの鍵は各メディアが「これはすごいぞ」と思って勝手に取り上げてくれたことにあるそうです。余談ですが、シンガポールのサッカー好きに話を聞いたところ、Jリーグはアジアのサッカーリーグの中でも成功例としてよく話題に出ているらしく、誇らしい事このうえないですね。

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Jリーグ黎明期の成功はマスメディアへの膨大な露出に負うところ大ではあるが、ほぼ全部が広告出稿ではなく、メディア側の報道によってなされたことは再度特筆すべきだろう。TV、ラジオ、新聞、雑誌などでの報道、紹介は仮に広告費に換算しても総額は算出しえないほど膨大だった。過去これだけ集中したキャンペーンは例を見ない。

もう一つ、「第3者として誰かをポジティブに紹介できる」というのもメディアしかできません。自チームの選手をチームオーナーが紹介するのと、中立的なメディアがその選手を紹介するのでは受け取り側の印象が若干違います。

また、ファンや評価する人がいてはじめて天才は「天才」たりえるわけであって。「おれは天才だぞ」と言ってる人はもれなく滑稽です。逆に誰かが「君は天才だ!」といえば誰でも天才になれてしまい、それではもはや突き抜けてないので「天才」という言葉に意味がなくなるのですが、それはまた別の話。

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たとえ、どんなお金持ちで立志伝中の偉人だとしても、自ら、自分のことを「偉人だ!」と書いて、駅張りポスターや中吊りで、お手製の壁新聞のように張りだして回ったとしたら、大笑いされるだけです。だからこそ、<中略>本人に成り代わって、第三者としての観察者の視点から、メディア上でポジティブに紹介することに、大いに価値があるのだと思います。

結局何がいいたいのさ

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戦争、飢饉、自然災害、失政、腐敗、予算削減、難病、大規模リストラ、テロ事件。世界はいつだって悪いニュースのオンパレードだ。反対に、ゆっくりとした進歩は、どれほど大規模であっても、何百万という人に影響を与えたとしても、新聞の一面に載ることはない。もしも記者が「航空機、無事着陸」「農作物の収穫、また成功」といった記事を書こうものなら、すぐに会社をクビになるだろう。

ということで、何が言いたいかというと、ほっといたらこの世の中は悪いニュースだらけになるんだから、当ブログはできるだけポジティブに自転車について伝えていきたいということ。「今日も天気がよろしいようで」みたいなつまらない事実にも光をあてていきたい。にっぽんの自転車文化づくりに貢献するような文章をネット上にストックしていきたい。

そしてそのためにも、ちゃんと真面目に著作権とかについても調べてやってこうと思い立ったのです。

で、そうしたら今までのやり方を変えくちゃいけないということが判明したので、次の記事「Chariyorumが生まれ変わります。メディア批判を繰り広げようとしたら、当ブログがダメディアだった事が判明したので猛省したという話。」にこれからのChariyorumのあり方をまとめました。

フワッとごまかすことが得意で今までの人生やってきたのですが、その姿勢も変えなきゃダメみたいです。

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