いかにしてスキージャンパー少年は、最強の自転車選手となったのか
The Roglic story: from Telemark to Tour Glory | Team LottoNL-Jumbo

 

スキージャンプ少年、ジュニア世界選手権で優勝する

ログリッチェはスロベニア山中の小さな村に生まれ、少年時代からスキージャンプに親しんでいました。この頃のログリッチェは「自転車すら持っていなかった」ようです。

僕の夢はもちろんスキージャンプで一番になることだった。best epicになりたかった。それは確かだよ。その時点で僕は自転車すら持っていなかったんだ。だから自転車選手になりたいなんて夢にも思ったこともなかった。

プリモシュ・ログリッチェ

「プリモシュは決めたことは絶対に実現するんだ」と友人が語るように、ログリッチェは16歳のとき(2007年)ジュニア世界選手権の団体優勝メンバーに選ばれました。しかし、同年にログリッチェは大会中に大事故に見舞われます。下動画がその時の映像ですが、頭から落ちる危険なクラッシュ。しかし奇跡的に大きな怪我はなく、本人曰く「たぶん鼻を骨折したのと、脳震盪を起こしてしまった」ということです。

16歳の頃だった。当時の僕は怖いもの知らずで、なんでもできるし200mを飛ぶなんて簡単だと思ってた。ジャンプするのに必要なリスペクトや恐れを持っていなかったんだ。

プリモシュ・ログリッチェ

21歳で早くも訪れた転機

事故から復帰したものの、思うように成績が伸びなかったログリッチェはほどなくスキージャンプから離れることを決意。

モチベーションか何かが欠けているのを感じた。21歳にもなったのに、オリンピックチャンピオンや世界選手権のチャンピオンになるにはすごく遠くにいるように感じたんだ。その時思ったんだ。もしかしたら次のステップに進むべきなんじゃないかなってね。僕にいろんなことを教えてくれていろんなものを与えてくれたスキージャンプから離れて、なにか違うことをするときが来たんだと。

プリモシュ・ログリッチェ

本人は決して語りませんが、コーチは「あの事故は影響があった」とも指摘しています。

私はあの事故は確かに影響があったと思ってる。検査を受けたら、彼は体的にも精神的にも完全に回復しているという結果がでた。だからその後の3年間、彼はとても厳しいトレーニングを行った。それなのに、最高のパフォーマンスができなくなっていったんだ。彼より才能に恵まれない選手がより良い成績を残すようになっていった。

Zvone Pograjc(スキージャンプ時代のコーチ)

デビュー戦は借り物で出たヒルクライム

スキージャンプから離れたログリッチェが次の情熱の矛先として選んだのは自転車でした。

最初は近所で開催されてたヒルクライムに挑戦してみた。100人かそこらしか出場していない小さなローカルレースだ。近所の人から自転車からヘルメットからウェアから何から何まで借りてね。これが僕の自転車レース生活のはじまりだ(笑)僕は本当に何も知らなかった。自転車ロードレースに詳しい人も誰も知らなかったし、どうすればいいのかもわからなかった。僕が思ったのは「たぶんチームに入らなきゃいけないんだろうな」というくらいだ。だからインターネットでアマチュアチームを探していろんなところにEメールを送った。

プリモシュ・ログリッチェ

そして、チームを探していく中で、地元のコンチネンタルチームが彼に興味を持ちます。ログリッチェがよく覚えている会話があります。

「どのくらい乗ってるんだ?」と聞かれたから「今までの人生での全走行距離は3,000km位です。たくさん乗ってます」と答えたら、チームの皆が「おいおい」と困ったような顔をしていたよ笑。それでも、僕のスキージャンプの経験を買ってくれたチームは僕にレースを走らせてくれた。

プリモシュ・ログリッチェ

2013年から本格的なレースに出始めたログリッチェはU23カテゴリーでの経験をほとんど積んでなかったといいますが、それでも2015年にはツール・ド・スロベニアやツール・ド・アゼルバイシャンといったレースで格上チームの選手達を破って総合優勝。結果を出します。

確かにいろんな経験が僕には不足していて、U23カテゴリーで走ったこともなかったからいきなりエリートカテゴリーだった。だけどそんなレースにでても僕はちゃんと走れたし、楽しくて仕方がなかった。

プリモシュ・ログリッチェ

プロツアーデビュー1年目のジロで大車輪の活躍

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(2016年ジロのプロローグで2位、第9ステージ個人TTで優勝)

間もなく、その活躍はトッププロチームの目に止まります。

2015年のことだったと思う。スロベニアの友人が僕に電話をしてこういうんだ。「Frans、面白いぞ。誰にも真似できないレベルで自転車に乗る元スキージャンパーをみつけた」とね。彼の話は止まらなかったけど、最初は大して気にもかけてなかった。その年は新しい選手を雇うお金がなかったけど、僕は彼に注目してみた。そのリザルトはただただ素晴らしかったよ。チームに連絡しなきゃと思った。

「お金は足りないかもしれないが、この件についてはどうにかしたい」

僕らは彼をオランダに呼び寄せてテストした。テストが終わると皆が納得した。

「この男はフェラーリのエンジンをもっている。契約しよう」

Frans Maassen(ユンボ・ビスマのSports Director)

そしてその期待を遥かに超える成果をデビューの初年から出していったのです。

プロツアーデビューした2016年のジロの衝撃は忘れもしない。プロローグでいきなりデュムランにあと一歩で勝つところまでいったんだ。デュムランを1/100秒差まで追い詰めたんだぞ。僕らは彼がそんなにTTが得意だなんて知らなかったし、本人すら知らなかった。だれも知らなかったんだ。

Frans Maassen(ユンボ・ビスマのSports Director)

最後に

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(ロマンディでは元世界王者ルイ・コスタと昨年ツール優勝Gトーマスを抑えて圧勝)

ジロのプロローグを制したログリッチ。今年も勢いが止まりません。出場したステージレースはUAEツアー、ティレーノ~アドリアティコ、ツール・ド・ロマンディですが、これらの一級レースの全てで総合優勝を果たしているのです。唯一の懸念は「尻上がりに調子を上げていく」選手が勝ちやすいと言われる中で、3週間好調をキープできるのか?という点くらい。スキージャンプで世界一になる夢を諦めた男は、自転車の世界で頂点に立てるのか。今年のジロも熱い戦いが期待できそうです。

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